10マイル インベーダー

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10マイル インベーダー (創刊号)



 はじめまして、ootora7ことタカハシと申します。
さっそくですが上記タイトル、何のこっちゃと思われた方も多いと思います。
実は今朝見た夢のタイトルです。

夢にタイトル? 
いやしかしはっきりと新聞のTV欄をチェックしたらタイトルはあったのです。
4時50分、ノートに忘れぬようメモしましたから。 

7~8人の若者が、ある組織と戦っている。よくある映画でした。
一つリアルなのは、その中に私が入っていたこと。

映画を見ているのではなく映画を体験している。
バーチャルリアリティとでも言うのでしょうか。
ちなみに私は40代、70代の人から見れば若者かもしれません。





 小高い丘の上での決戦。仲間の女性、20才くらいか、水川あさみ風。
手にロケット砲、斜め上空めがけて発射。
空には敵の円盤。見事に命中し大爆発。が、それだけではすまなかった。

水川が放った一発は超小型原爆並みの威力があり、
辺りは瞬く間に生命のいない地へと変わっていく、そう俺は実感していた。 

我々は避難のため全速力で走った。 
ロケット砲が発射されてから爆発するまではほんの2,3秒。
全速力で逃げても本来 爆風からは逃れられない。
しかも、その瞬間まで全員でその様を見ていたのだ。

ということは、山まで0、1秒以内で逃げる必要があった。
しかしそこが夢のいい所。俺の都合で何とかなった。

山の洞窟へ・・・、この山の下が我々の住む地上なのだが、
そこに行けば灼熱に焼かれることは分かっている。  

山に一人一人がぴったり隠れられる氷のシェルター、
これこそが逃れられる唯一の方法だった。
私の隣にごっつい男。まるでK-1戦士のような。
 
余談だが、先日、町田を歩いていてドラゴンジム(龍道場)の前を通った時、
前田慶次郎選手を見た。そう、あの武蔵を破った男だ。
ということは日本一強い男と言っても過言ではない。

そんな前田タイプの戦士が一人いた。
その前田似はリングでもないのにパンツ一丁だったのは気合の表れか。
皆、背を向けて立っているのにこの男だけはさも勇者然と前を向いていた。
義経を守る弁慶のように。

またまた余談だが、
彼らの師匠 前田憲作氏はもう10回以上も町ですれ違っている。
昨年まで私も座間市に住んでいたからだ。

「これがあのハイパーサイクロン男か」 と。
しかし本当に強い人間と言うのは、あまり強そうなオーラを出していない。 
ひょっとしたら勝てるのでは、
そういう錯覚をおこして多くの無頼漢は過去命を落としていったのだろう。
私もそんな錯覚を何度か覚えたものだがそこまで愚かではない。

一夜が明け、我々は地上へ向かった。俺は街の有様にショックを受けた。
木々は枯れ、車は鉄屑と化し、人の気配が全くない。
仲間の3,4人が寺へと入っていくのを見守った。

一人は松山ケンイチ風、一人はイチロー、
怪しいチャイニーズがかぶるような帽子をイチローはかぶっていた。

俺以外は、何事もなかったかのような、戦士として
こういう状況を割り切っている、そんな顔付きだったのが印象だった。

俺は年長だがリーダーではないみたいだ。水川がリーダー? 
実力は彼女がNO1だ。
しかしK-1チャンピオンより強いとは。あ、まだチャンプではないか。

女性はあと一人いたかいないか。
水川と俺と2,3の仲間は他の空き家へ。何かの作業所のようなところ。
様々な楽器が置いてあり、皆弾いて楽しんでいた。音の出ない物もあった。
(そういえば水川あさみも「のだめ~」で楽器をやっていたな)

世界は滅びた。といってもたぶん俺のいる半径10キロ程度だろうが。

そしてこれはきっと映画に違いない。 
俺は映画を見ているのだ。タイトルを調べなければと新聞を手にした。
その空き家に置いてあったのかどうかは分からない、
新聞のTV欄にはこうタイトルがあった。

「10マイル インベーダー」と。正確にはもっと違ったタイトルだった気もする。
「10マール(インベーダー)11秒前」と言った感じの。そこで終わった。




 映画と言うからには1時間半~2時間くらいの内容だったのでしょうか。
むろんこれは映画ではなく私の見た夢ですからそんな長編ではありません。
この前後のストーリーを募集しています。

今、体験していることが実は映画、すなわち作り物だった。
こういったバーチャルリアリティ的なことがこれから主流になっていく。
そんな気がします。

私は2ヶ月前よりブログでも書きたいと考えていました。
いろいろとタイトルを考えていましたがどれもパッとしませんでした。

せっかくと言うか、ついでと言うか、今日これがきっかけとなり
やっとスタートしたこのブログ、これをタイトルにすることにしました。
ではこれからもよろしくお願いします。

ちなみに今回は夢がテーマでしたが、毎回夢ではありません。
週のうち憶えているのはせいぜい2つか3つだし、
意味のないものがほとんどなので。

次回、私のプロフィール、
このブログの主な内容などを発表したいと考えています。お楽しみに。


PS)反響によってはこの夢で1本シナリオも書きたい
と言う野望を抱いています。
そのときは水川さん、ギャラ払いますので出演してネ。


ブログを始めて3ヶ月、この1本が原点です。
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vol 1 誕生~

 1964年9月2日、宮城県加美郡色麻村で生まれました。産声がなく、
医者や看護婦が懸命に叩いてくれてようやく一声発したそうです。
もう少し遅ければ声を失っていたかもしれないとの話を聞きました。

まもなく東京オリンピックが開催。
ついこの間北京が終わったばかりですね。。
当時22歳だった母は、病室で見ていたと言っていました。
体が弱かったのでしょうか。

一段落して横浜へ引越し。父が勤めていた
石川島播磨重工(IHI)の笹下にある社宅団地に3、4歳の頃まで。
その頃妹が生まれました。結構可愛がっていたと思います。

私は物心付いたころから左の視力が0,1。右は1,0あるですが、
片方だけ向いていつもテレビを見ていたせいだろうとのことです。
いわゆる弱視、まあ支障を感じたことはあまりありません。
これが当たり前なので。人間は皆こうなのだと10才過ぎるまで信じていました。

あえて言うなら野球など
左に構えたとき球の感覚が分からなかったりした、その程度です。
やはり横浜時代、
額を縫う怪我をしたことがありますがそれは関係ないでしょう。

幼稚園に入る前に千葉の船橋市へ。いわゆるここが私の故郷です。
成人するまで住んでいました。

小学校の時の教師に志位先生がいました。担任ではありませんでしたが。
友人によれば、あれは志位和夫のお父さんだとのこと。
・・・本人だと思うのですが。(未確認)

もしかしたら全くの記憶違いで、
ただポスターを見ていたためそう錯覚したのもしれません。
30年以上前の話です。

サッカークラブに所属していましたが
一度も試合に出させてもらったことはありません。

中学は1クラス40人以上、1学年で14クラスありました。
この頃は特に珍しいことでもなかったと思います。

中1の必修で合唱クラブを選び、
3学年で男子は私一人でした。7~800人もいるのに。
とても後悔し1年間週1回の必修がとても憂鬱だったことを思い出します。
今だったら逆にワクワクですが。

そんな時クラスメートの大原がとんでもないネタを持ってきました。
「おい、来年キャンディーズ解散だってよー」
それが中学時代最もショッキング~な出来事といっても過言ではありません。
(TV見ませんでしたが、この日エドさん24時間はしってました)

部活はテニス。やはり選手ではありませんでした。
「俺はスポーツは向いていない」
この思いがその後の人生を左右することに。

そう、高校進学と同時に私は演劇の道へと足を踏み入れたのです。
その高校は私たちの代で2年目。
つまり入学した時3年生はいませんでした。

演劇部に入る、
決めてはいたもののあの合唱クラブ、恐怖と不安がよみがえります。
けど、そんな不安はあっという間に解消されてしまいました。

新入生歓迎会での演劇公演。
なんと男の先輩の方が多いではありませんか。

ここだ。ここの高校で間違いなかったんだ。
もし私の偏差値がもう少し高かったここへ来ることもなかった。
興奮しました、私の輝ける未来に。

先輩は男子10人、女子5人でした。
しかも創立1年目にして関東大会3位の実績を残していた
ツワモノ達だったのです。宮ちゃん、早苗さん、
ジュンコ先輩、クミコ先輩、デメ先輩。皆優しかった。

男子の先輩には泣きを入れるまで鍛えられたことも、
その甲斐もあり私の代では全国まで行かせてもらいましたので感謝です。

私の9つ下に欽ちゃん劇団の入山学、13期下に女優の占部房子
などがいます。
面識はありませんが、共通点は同じ師に学んだと言うことでしょうか。

高校演劇界では有名な先生です。
ドラマ化されても良いくらいのエピソードを持ったオヤジです。
(当時は30くらいでしたが)

1年の終わりの頃パーマをかけて
部を辞めかけ取っ組み合い寸前までしたこともありました。

ここから巣立ち、
又はここを足がかりにして自ら劇団を立ち上げた者も何人かいます。
裏方として飯を食っている者もいます。
私のように無名だが活動している者も大勢いると思います。

さて、高校入学と同時に劇団の養成所にも入りました。
初舞台は高3の時、演劇部を引退した直後です。

一応受験生でしたが勉強しませんでした。
日大芸術学部、落ちました。
もし受かっていれば三谷劇団に参加していたかもしれません。

「マッチ売りの少女」。主役は当時6、7歳くらいだった小川範子。
「重美ちゃん、今日学校どうだった?」
などと気安く話していました。憶えていないでしょうが。

他には高木美保さんなどがいました。
同じ劇団員だったのでよく会ってはいましたが話した記憶はありません。
けど挨拶はしてくれていました。私の方が後輩だったのですが・・・

21になる前に劇団を辞め、22で渡米。
ワシントンDCで友人らと商売をしていました。

友人の一人はホワイトハウスまでのジョギングを日課にしていました。
エアガンで撃たれ失明してしまった友もいました。
ニューヨーク、フロリダ等へも遠征して稼いでいました。

24で帰国。昭和の終わりは日本で迎え25で再び芝居を・・・。

それから今日まで芝居とバイトの繰り返し。
といっても最後に舞台に立ったのはもう3年も前。
TVのチョイ役も11月にやったきり。

そんなこんなでもうすぐ44.。輝かしい未来はいつやってくるんですかねえ。

と、まあ長々とお付き合い頂きありがとうございました。
ラストは紙面の都合上はしょらせて頂きました。
って1ギガはどの位の容量なのでしょう。。




PS)
ブログ昨日はアクセス0。
笑ってしまいました。10人位は観てくれているかなと期待していましたが、
スタートはこんなもんなんでしょうか。
さて、いつまでも0じゃ張り合いがないので戦略会議を行います。

次回はvol 2「市川由衣」をお送りします。
7年前、ドラマで父親役を演じたときのエピソードなどを。  ご期待下さい。





FX 初心者

vol2 市川由衣、15の頃 ”君は人生の王道を行け”その1

:) 今日は宝くじの日です。
3億ハズレタコトヲ改めて認識させられる日です。

それと 今日は私の誕生日。オメデト~う、ばんざ~~イ。
「あ、そうか。忘れてた」 よくドラマなどである台詞ですが
自分の誕生日をそうそう忘れるものでしょうか。

では、さっそく本編に入ります。
小説形式を試みてみました。
米印など、いろいろ記号を使いたかったのですが、
1時間悪戦苦闘した結果あきらめました。





 ・・・2001年5月26日。
「”渋谷系女子プロレス”、書類通りましたので、台本FAXしますね」

書類に通ったということは、出演決定ということだ。
今回、オーディションは受けていない。
つまり事務所がクライアントにタレントの書類を送ってそれのみで合否を
判断するというありがたいパターンだ。

オーディションをわざわざ受けて受かればいいが、落ちればショックもあるし
エネルギーも結構消耗する。
書類選考なら 「あ、落ちたの」で済むからだ。

マネージャーからのTELが切れると、まもなくおびただしいまでのロールが
流れてきた。
その当時まだ普通紙機ではなかったが、さすがにこの件でうんざりした俺は
買い換える決意をした。

・・・5月28日。
3ヶ月勤めた赤羽駐車場での夜間アルバイト、最後の1日が終わった。
「お疲れ様でした。こんな形になってしまったけれど、これからも頑張って
下さい」朝、出勤してきた隊長に言葉をかけてもらい、俺はロッカーの荷物を
まとめた。

やめたとはいってもクビのようなものだ。
この頃の俺はなかなかバイトが続かなかった。
いつも喧嘩をしたり、態度が悪いなどとの理由で職を転々としていたのだ。
20才位ならまだしも、35を越えた大人なのに情けない、そんなタイプだ。

今日はこの後、”渋女”撮影のため1時に渋谷に集合。
8時に勤務が終わったので時間はまだある。

いったん百合丘のアパートに帰ることにした。

勤務最後でなければ直接渋谷へ行ってブラブラ時間をつぶしていたかった。
交通費も馬鹿にならない。
貧乏役者には100円、200円の出費が大きくこたえるのだ。
が、今日は荷物も多く、
この状態でぶらつくのも疲れるので帰ることを選択した。

、12時半、渋谷に着いた。井の頭線だ。
道玄坂を上って、どっかで曲がった所にあるビルの前に集合。
しかし、こんな所、俺はめったに来ない。
渋谷、電車で30分位だが、年に1回来るか来ないか。
4~5年行かなかった時もある。別にいやな目にあったとかいうわけでないが。

地図を手にしながらも迷った。逆の方に行ってしまった。
駅から5分と書いてあったが、早目に着いていて良かった。
何とかギリギリ間に合った。

マネージャーの英樹君が待っていた。俺の名は高橋。
2人を足すと高橋英樹になる。ウソのようなホントの話。
ちなみに本物の高橋英樹さんとも3度ほど共演させて頂いたことがある。
それはまた別の機会に。ただし直接会話のあるような役ではなかった。

「迷いました?」
「うん、あっちの方行っちゃって」

そうこうしているとそこへ、少女とそのマネージャーらしき青年が現れた。

「由衣役の子?」俺はその青年にそう尋ねた。
俺の台本 (といってもコピーFAXだが) には由衣の父役とあった。
なので市川由衣というのがまさか本人の名前だとは思わなかったのだ。
素人丸出しである。いかにドラマの仕事をしていないかバレバレである。

しかしプロレスラーにしてはずいぶん華奢だなあ、
それが由衣に対する第一印象だった。
またまたマネージャーに尋ねた。
由衣本人も目の前にいたが、
いきなり話しかけて引かれても困るのでマネージャーさんと話した。

「プロレスラー、なんだよね」
「いえ、タレントです」
「え?」

俺は何か大きな勘違いをしていたのだ。
サブタイトルに
”1%の真実と99%のファンタジー”(だったかな)とある。
そ、そうか、ドラマだったんだ。ドキュメンタリーじゃなかったんだ、と。

いかに台本をよく読んでいないか、今更ながらつくづく自覚した。

「市川由衣 15歳です。よろしくお願いします」これが出会いだった。


                                      つづく  






PS) すいません。全部書くつもりだったのですが、
ブログはあまり長すぎると読まれない、そう何かの本に書いてあったので
今回はこの辺で区切らせて頂く事にしました。
原稿4、5枚程度を目安にしています。

「なら 余計なこと書くな。お前のバイトの話などどうでもいい」
いや、ごもっとも。次回から気を付けます。一応私の出番(撮影)は1日で
終わりましたので。
次回その②で完結させます。 では失礼いたします。


と言いつつ、おまけ




今日見た夢 1)

 竹馬に乗って通学の途中屁をこいてしまった。
前を歩いていた女子高生が立ち止まる。
しまった、完全に聞こえるボリュームだったのだ。
彼女は恐れてか振り向かなかった。

俺は平然を装い追い抜いた。
手に持った、雑誌の切り取った1枚を読む振りをして。
と、ない。財布がない。落としたのだ。しかしUターンするのもかっこ悪い。

通りに出て右が学校だが俺は左に曲がった。
1周して財布を拾うためだ。
すでに拾われてなくなっているとは考えなかった。

ちょうどバスが来てまたまた女子、今度は5、6人いた。
また前を歩かれてしまった。 

今日見た夢 2)

公民館か体育館か。
バイトの控え室になっていて俺も着替えることに。
が、今日はバイトに来たのではなかった。
10年位前にやっていたバイト先だった。

廊下ではヤンキー2人がフリスビーをやっていた。
それが当たってポスターが切れた。刃先が鋭くなっていたのだ。
それが俺の目の前に落ちた。問答無用でゴミ箱に入れた。
因縁でも付けてくるかと思ったが何事も起こらなかった。
ん?因縁つけたのは俺か?

外へ出ると、福士が俺を呼び止めた。
福士とは俺が10年前通っていたフィットネスクラブにいた女子スタッフだ。

自動ドアを出た所で話す。
「今度新しく入った会員でボクシングやっている人がいるけれど
喧嘩しないで下さいね」との事だった。

ン?財布、控え室に忘れてきたようだ。取りに戻ることに。
フリスビーヤンキーはもういなかった。
控え室、どこだったか迷っていると「こっちだ」との声。
案内人は小学校時代の級友、岩田だった。30年ぶりだった。

控え室にはバイトのメンバーがウヨウヨいてウザかった。





おまけのPS)
ちなみに今日の夢にはタイトルはついていませんでした。
というか、新聞が出てきませんでした。
もし、新聞のTV欄を開いたら、またタイトルがついていたのかもしれません。

                                   ミステリアスです。 


メンズ 育毛
 
 私もそろそろ・・・、もう遅いかな・・・。


電話占いなら

vol 3 一人の個としての父親

 今日は父の誕生日です。昨日は私の誕生日でした。
2人続いています。
確か長嶋茂雄と同じ西暦、昭和11年生まれです。

子供のころはパパと呼んでいました。
普通次は”お父さん”又は”おやじ”とでも呼ぶのでしょうが
私はそう呼べませんでした。
もう何10年も父親を呼んだことがない。

母に対して父を指すときは”とっつあん”と呼んでいます。
ルパンを真似て。
「とっつあん出かけたの?」みたいに。

その母親のことも”お母さん”と呼んだことがありません。
私に子供でもいれば、”じいちゃん、ばあちゃん”と呼んでいたでしょうが。

私は独身、夫でもなければ父でもない。
そういう立場になったときの人間の気持ちはまだ体験がないのです。
そういう存在です。

けれど人は本来、皆そういった個体です。
親父は24時間、年がら年中親父ではありません。
外に出れば一人のただの男です。
近所の人に誘われてソープにも行く普通の・・・

なんでも、ソープの意味を知らなかった母が、
「行ってくれば」と送り出したそうです。20年以上前のことです。
今年の夏、帰省した時初めて聞かされました。

しかし唐突に母がそんな話題を出してきた事に
「ただマッサージしただけだ」
とバツの悪そうな答えをしていた父が妙に笑えました。

さてそんな親父ですが、昔、千葉TVの「カラオケトライアル」という番組で
2段まで行った腕前です。
この間も他の人が歌っているのをTVで見ていろいろ批評をしていました。
今も週に何回かはスナックへ通って歌っているようです。

又、絵がうまいです。
以前飼っていた犬が死んだ時、写真が飾ってありました。
が、それは良く見ると親父が描いた絵だったのです。
こんな特技を持っていたことを、40年間私は知りませんでした。

それと楽器でしょうか。まだパパと呼べていたころ
よくクラリネットを吹いていた、そんな姿が脳裏に焼きついています。
自衛隊の音楽隊かなんかにいたと聞いた覚えがあります。

I H I を定年退職し、10年程警備等のバイトをしていましたが
今は家庭菜園など趣味を楽しんでいます。

親父は基本的にNHKしか観ません。
お袋がドラマなど民法を点けると一応見たりすることもあるようですが。
チャンネルは1しかないと思っているような。あ、カラオケ番組は又別ですが。

20年以上前、私は何度か大河ドラマにエキストラで出演したことがあります。
しかし、もっと大きな役で、親父が健在なうちに・・・
そう願って、親父73を祝します。ン?72かな・・・?


PS)
孝行したい時に親はなく、よく言われる事です。
だからといって意識しすぎるのも不自然。
まあ、難しく考えず、でもいざという時に何かを果たせる、
そんな息子でいたいです。

親父も今年は実姉を亡くし、昨年は実兄を自殺で亡くしました。
まだまだ元気でいてもらわねば。

さて、次回お待たせ、「由衣その2」です。
今回みたいに予定変更の場合、ごめんなさい。



βグルカン

vol 4 原油

 「下がっている。といってもまだまだ高い。
2004年9月3日の日記をひもとくと44ドルと書いてあった。
それでも高いと言われていた。

そろそろ下がるとそのころから言われていたのだ
私は先物で50万以上やられた」


 え~、またまた予定変更です。まあ、催促のコメントもないので
ここら辺は自由にやらせてもらうことにしました。

冒頭は私の声です。
今は逆に下がってきているせいで少し損しそうです。

ここ1年半くらいの間、
実はオイルマネーで生計を立てていたからです。
といっても今年の5月まではバイトもしていましたが。
物価的には下がってくれた方が助かるのですが。矛盾した男です。

元金は大した事ありませんので月々の配当は8万くらいです。
それでも生活費にはなっていました。
一人暮らし、家賃は込みで3万。贅沢しなければおつりが来ます。

さてこの先どうなるのでしょう。先月、少し投資額を増やしたので
今月からは10万くらいになる予定ですが。

リスクのあるゲームです

この話題、また気が向いたらパート2出すかもしれません。


商工ローンなら




vol 5 ドラマ 「ゴンゾウ」

 昨年、大河で主役をやった内野聖陽が主演ということで
観る事にしたこの番組ですが、私は面白いと思っています。

プロデューサーの意図か、大河 「風林火山」の出演者が
何人かゲストやレギュラーで出ていて、その辺も楽しめます。

基本1話完結かと思っていたら、世界観がつながっている。
昨日放送の弟9話では、キーワード的な言葉の意味にようやく
主人公が気が付いた。

2時間ドラマならまだしも9時間かけてようやく、
私もひょっとしたら犯人はあいつかなと気が付いてはいました。
が、問題は次です。犯人など誰でも予測は付くのす。
私がこの作者に参ったのは。

 「この世界に愛はあるの?」主人公の恋人が死の間際発した一言。
不幸な生い立ちだった彼女は犯人に撃たれ内野の腕の中で
言いました。

それは当然、世をはかなんで言った言葉だと
ほとんどの人は観ていて思ったでしょう。
しかしそれは犯人の口癖だった。私もドキッとしました。
そうだったのかと。

それを3年の時を得て、別事件を捜査中ようやく内野は・・・  


 さて、97年の何月だったか、調べればわかるのですが、
JRの車内で内野氏を見かけました。ジーンズが似合っていて、
私は同じ役者なのに
こうも差があるものなのかと嫉妬を覚えたものです。

やっぱり文学座は違うなあと。

文学座といえば青春ドラマの代名詞、
村野武範さんや中村雅俊さん等がいました。

5月までバイトしていた会社に村野君という同僚がいて
彼は村野武範さんの甥とのことでした。
他部署の人間とあまり私は話さないのですが彼とは結構気が合いました。

中村雅俊さんに関しては、私にとって特別な存在で
私が役者を志すきっかけとなったのが
雅俊さんが主演した 「ふれあい」という映画だったのです。

中3の時、土曜ワイド劇場でその作品を観て、
終わってもしばらくコタツから出られぬくらいの衝撃を受けたのです。

役者という職業。俺も人に感動を与えられる仕事がしたい、
それがこの道を目指した最初の理由でした。

「ゴンゾウ」に出演している前田亜季、一度地元で見かけた事があります。
姉の愛、そしてたぶん母親かマネージャーの、3人を。
シンユリのスーパー丸正で、走り回っていました。昼ドラで 
「しおり伝説」という番組がありましたがそれよりもっと子供の頃です。

姉の愛には1度駅のエスカレーターでタックルされた事もあります。
駆け上ってきた女子高生がドカーンと。
ちらとしか顔見ませんでしたがたぶん愛ちゃんに間違いないと思います。
姉妹はいつも走っているのでしょうか。元気が1番。

ちなみにシンユリの丸正はもうありません。
そこではタレントの新田純一氏も1度見かけました。
娘を抱いて買い物をしていました。

ブログvol3で20数年前大河に出演したと書きましたが、その現場では
綿引勝彦さんがおりました。ごっつい人だなと思いました。
怖そうだし声はかけませんでした。

「山河燃ゆ」
私は西田敏行さんと同じ初年兵役として2,3回参加させてもらいました。

控え室で西田さんは我々エキストラ5人に色んな話をして下さいました。
主役なのでたぶん個室など用意されていたでしょうが。

この人いい人だなあ。もし自分が大物になったら、
後輩を威圧するのではなく西田さんを見習おう、そう思ったものです。
あまりにも人生屈折しすぎて、そのような初心を今失いつつありますが。

何かの本に書いてありました。
「この業界で西田敏行を悪く言う人はいない」 と。同感です。

さて 「ゴンゾウ」に戻りますが、以前私が所属していたプロダクション
のメンバーがちらほら出ているというのも楽しみにしている一つです。

昨日の第9話では真犯人の似顔を描いている刑事役がそうでした。
「城太郎さん」思わず声をかけそうになりました。

あの絵は彼が描いていたのではないでしょうが
彼はプロの漫画家でもあります。「日本の歴史」等作品も出しています。

そのプロダクションを辞めて5年以上になりますが芝さん、あの頃より
若返っていたような、充実しているのでしょう。


では今回はこの辺で。

ボイストレーニング



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vol 6 情報商材

 昨日、TBS 「イブニングファイブ」の特集を観た方も多いと思います。
いかに悪徳なものがネットの中にはびこっているのか。

私も過去二度ほど、そのような物を購入し悔やんだことがあります。
過去といっても、つい2ヶ月ちょっと前のことです。

「え、これが1万円?」目が飛び出そうになりました。ブックオフで¥100で
売っていても買わないだろうといった内容のもの。ご丁寧に100ページ
以上にも亘って。

ポイントサイトに登録したり、金融カードを申し込みましょう、との程度の
物でした。本来、まじめにビジネスをやっている人ならばこの程度の情報
(ネット超初心者向け)は無料で提供するでしょう。

やはり買う前に内容が解らないというものはダメだな、思いました。

それでも彼らはあおり方がうまい。(最もそういう教材もあるのですが)
中身0のものを100に見せかけるなど朝飯前。
これが、被害者が後を絶たない理由です。

また、大物といわれる人の名を利用して売って来るものもいます。
上記がそうでした。

「この人の正体はつかめないけれど、この人がメンターとしている人は
それなりの人物だ」そう判断してしまったのが敗因でした。

堂々と住所、名前も出しています。(偽名かもしれませんが)
返金保障などとうたっている物ほど??、一呼吸起きましょう。

「私のこの商材、¥3000でアフィリエイトしませんか?」
そんなことが最後に書かれていましたが、やったら最後、
ひんしゅくを買うだけです。

わずかばかりの小遣い稼ぎにはなっても、長期的には損します。
最も大切な信用というものを失うだけです。

けれどアフィリそのもの自体は否定しません。むしろ私もそれを目的に
このブログ、メルマガを始めたのですから。

ただ私と同じようにこれから始めようと考えている方は、先に上げた
魑魅魍魎の類には属さないようにしましょうね。

人間には正義もあれば弱さもある。そうは言っても間がさす生き物です。
ただ間違いに気づいたら軌道修正する責任感はほしいものです。

私にも人には言えないような時代もありました。
人間は変わります。

今、毎日500件以上のメールを受信していますが目を通すのは多くて20、
じっくり読むのは5個以下。必然といいものしか読まなくなります。

読者が減った時こそ己を見つめなおすいいチャンスです。

え?私はまだ0ですので減るも何もこれからです。


                                   ではまた・・・

プラセンタ










vol 7  市川由衣 15の頃  ”君は人生の王道を行け” その2(完結編)

  「市川由衣 15歳 高校一年生です。 よろしくお願いします」
 ・・・それが出会いだった。

まもなく彼女とマネージャーは、食事兼打ち合わせだろう、その場から消えた。

ビル内の一室では 
他の渋女メンバーと、やはりうちの役者が某シーンを撮影中だった。

いわゆる集合はしたものの、いきなり出番というわけではないのだ。
しかしいつ始まるのだろう、いっこうに声がかからなかった。

俺は用意された弁当を、英樹君と一緒に食った。
台本にも目を通した(たぶん)。

再び外に出ると、ロケバスが来ていた。
「中で待機していて下さい」スタッフに言われた。
後でわかったが、ADだと思っていたそのスタッフはプロデューサーだった。

「それじゃ僕、他の現場行きますので・・・」2時頃か、英樹君は
渋谷を後にした。 
事務所といってもマネージャーが何人もいるような大手ではない。
いや、マネージャーが現場にこられない時のほうが実は多いくらいなのだ。

「一人になってしまった。まあいつものことだ」
もう一人の仲間も今の撮りが終了したらあがりだ。

由衣とマネージャーが戻ってきた。ひとりポツンといる俺に会釈をくれた。
先のAD、いやPもいた。

俺は機種交換したばかりのJフォン(なつかし)をいじくっていた。

すると 「台詞合わせお願いします」
びっくりして振り向くと彼女の笑顔があった。
「いい子だな・・・」口にはしなかったが内心感動していた。

この作品では、10数人女子の名前が並んでいたが
由衣君は3番目位だったろうか。
「ああ、一応メインの子なんだな」という認識は俺にもあった。

一説には、年間300人以上もデビューするというアイドル達。
「いい子だな、応援してやりたいな」
出会った人間にそう思わせることは最大の才能の一つだろう。

もちろんそれだけで生きていかれるほど甘い世界ではないのだが。

しかし俺はそのとき、
彼女を300分の1のアイドルとはまだとらえていなかった。


今現在の由衣の活躍を予測する先見の明を持ち合わせていたならば
写真の一つも残していただろう。
マネージャーが一所懸命写真を撮っていたのは知っていた。
「記念に一枚」そう言えなかった自分を後悔している。

ただ基本的に、ミーハー気分でそのような事はしないよう
養成所などでは教育していると思うが。


「あ、じゃあ・・・」
そう言って俺は丸めたコピー用紙を上着のポケットから出した。
台詞など2つ3つしかない。後は全部 「・・・」だ。これも入れると5,6個か。

「良いよ」
「はい。・・・『(駆け込んできて)父ちゃん、美代子どこやったんじゃ』」

美代子とはニワトリの名前である。
闘鶏用のニワトリを育てている父という役だった。

娘に売らないと約束していたにもかかわらず、その美代子という名の
ニワトリを酒に換えてしまった、ダメおやじという設定だ。

「その酒はどうしたと?」
「ぬしの知ったこっちゃなかと」」 

以下省略するが由衣は台本を手にしていなかった。
これも実はあたり前のことなのではあるが、恥ずかしいかな俺は
持って読んでいた。

2つ3つの台詞を入れるのに5分もかからない。
しかしその5分の努力を俺はいつも怠ってきていたのだ。
台詞が50, 100ある時はきちんと憶えていく。しかし2,3個だとやらない。
失敗したこともある。

こんな少女に改めて教えられてしまった。心構えのしっかりしている子だった。

「九州の友達に電話して、方言教わったんです」 あっぱれだ。

「この子はひょっとしたら化ける」(おばけじゃないよ)
徐々にだが期待の念もわいてきた。

台詞覚えと同じく、皆当然のこととしてやっているのかもしれない。
けど普通ではない、不思議な魅力を漂わせている、そんな子だった。

その後、巨乳グラビアアイドルとして雑誌などに出たが、
この日は全く気がつかなかった。  残念。 あ、いかんいかん。父であった。

「どこの事務所なの?」
「エイジです」
「?(知らないなあ) ああ、そう。・・・お芝居やってたんだ」
「はい。 (・・・・)」  何か話してくれたが忘れてしまった。

俺はその頃、半月後に舞台の本番を控えていたのでもちろん宣伝をした。
由衣に2,3枚チラシを、Pにも渡したろうか。
「絶対観に行きます」社交辞令でも悪い気はしない。

実際、彼女は当時売り出し中、マネジメントで一番大事なときだ。
そんな暇はなかったろう。

その後、由衣は研音に移ったがエイジとは関係のある所なのだろうか。
まあ、俺の知ったこっちゃではないが。

しかし研音といったら最大手の一つだ。所属タレントのほとんど全員
主役クラスといっても過言ではない。

会った事はないが研音の山口智子とは同い年だ。
唐沢さんは1個上だ。見た目的には俺の方がおっさんだが。


「では今から成田に向かいます」
Pではないスタッフが戸を開け言ってきた。
「!何」 3時くらいになっていただろうか。いやあ、まいった。
3時には終わっているだろう、そのつもりだったからだ。

夜勤明けで、そんなに長時間やるのは正直かったるい。
そんなプロ根性もない、ヘタレマンだった俺である。

新たに 他の事務所からエキストラが7~8人バスに乗ってきた。
あれ?何のシーンだろう。

成田に付いたのは5時頃だった。
由衣ちゃんが走るシーンだ。「暗くなる前にとっちゃおう」
監督が言った。

50メートルダッシュを延々とさせられていた。
「若いなあ」バスの中から俺は眺めていた。
時間にしたら1分もない場面だが30分以上やっていた気がする。
アイドルには体力も必要だ。

隣ではしきりに電話し、皆明日の仕事の催促をしていた。
プロのエキストラ軍団といった印象を持った。

ADが来た。「よっしゃあ 出番か!」
「次、エキストラさんお願いします」 「ガクッ」

おいおい、俺のカラータイマー点滅しまくっているよ。それを言ったら
アウトだ。黙って待った。役者とは待つも仕事の内なのだ。

もう暗くなっていた。近くに神社かお寺のある公園。

闘鶏シーンだ。プロさんたちが闘鶏で盛り上がっている所へ由衣が
「お前ら何やっとんじゃー」みたいに入ってくる。そんな場面。

暗いバスの中一人じっとしていても仕方がない。
外に出て見ている事にした。

由衣マネは写真撮りまくり中。実は1枚くらい俺も取られたような気はする。
ただ、そこに由衣が入っていなければあまり意味はない。

ニワトリの血しぶきが由衣の顔に飛び散る。
もちろんニワトリなどいない。絵の具を溶かしたやつをスタッフが筆で
”ピッ”と やっただけだ。
スタッフも制服にかからないよう慎重にやっていた。

「かかったらごめんね」監督は割とのんきだった。

プロさんたちだけじゃ人数が足りなかったようで、たまたまいた
地元の人達も出演させていた。たまたまとはいえスタッフが
調達してきたのだ。通りすがりの人もいたかもしれないが。

彼らもあのドラマを見て
「お、出とる出とる、ワシじゃ」みたいに喜んだだろう。

闘鶏シーンが終わったのは9時を回っていたと記憶している。
プロさんたちはそこで解散となった。といっても成田だ。
駅までは送っていってもらっていた。

ある家の隣にある小屋、そこが次の舞台だ。
準備が整いイザ、やっと来た、長かった。
飯食ったことさえ覚えていない。由衣と父ちゃんのシーンだ。

10時だ。
1時に集合してから9時間待ったことになる。俺の最高記録だ。

もちろんNGは一つも出さなかった。
待たされたことが逆に緊迫感を生んで幸を奏したのかもしれない。

由衣が俺に酒(もちろん水)を浴びせるカット、3,4回やり直したが
由衣も台詞はバッチリ。終わるまで1時間かからなかった。

方付けし11時バスに乗り込み帰路へ。
もう少し長引けばホテルでも取ってもらえたかもしれない。
が、帰りは早かった。0時ちょいには渋谷についてしまった。
またまた残念。

車中は静かだった。由衣は一番後ろの座席にいた。
マネージャーと話していたのか、
寝ていたのかそこまで確認はしていない。俺はたぶん寝ていた。

「おつかれさまでした」俺がバスを降りるときそう聞こえた気はする。
あれだけ早く終われと思っていたのだが、
いざその時がくるとなんだか少し名残惜しかった。

11時間も同じ空間にいたからかもしれない。

メークスタッフの女性と井の頭線へ急いだ。終電だったと思う。
そのメークさんとも下北で別れた。妙に人恋しかった。

                                     完   
PS)
 この作品は 「君は人生の王道を行け」 のタイトルで市川由衣のその後を、
主にメンタル面を重視した小説にする予定でした。

彼女とはあれ以来会っていませんので完全なフィクションではありますが。

メジャーならではの悩み、人気の低迷、紆余曲折を得て成長していく
30歳くらいの彼女を書こうと思っていました。

それをひそかに見守る役者タカハシの目線で・・・

タカハシはホームレスにまで身をやつすも、
たった一人のタレントを応援することによって、己自身を保ちつつ 「自分は
負けの人生だったが『君は王道だけを歩んでくれ』 」こんなストーリーでした。



     さて次回、vol 8 品川庄治と綾瀬はるか、、、の予定
   予定変更の常習ですから、あまり期待はもたせられませんが お楽しみに。

   これだけ打つのに4時間かかりました。   

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  またまた登場。フサフサになったらもてるかなあ。


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  こんなのもどうでしょう。








vol 8 秋葉原

  
 昨日、所用で秋葉原へ行った。半年ぶりだ。

2時間程度を予定していたが30分ですんでしまい、
久々ということもあって少し歩いてみることにした。 

通り魔事件からちょうど3ヶ月。
感覚としては、4,5ヶ月くらいたっていると思っていたが
ダイアリーを開くと6月8日となっていた。

歩道に真新しい花束が2つ置かれていた。もう献花台はない。
けど、こうやって花を持ってくる人はいるのだ。

犠牲になられた方々は、私にとっては赤の他人だ。けど、
忘れることはないだろう

事件に関しては方々で意見など出尽くしてあるだろうから
今更私は語らない。ただ祈りを捧げるだけだ。

しばらく先を行くと、警官が2,3人立っていた。
2人目の若い警官が声をかけてきた。20代前半か。

「お荷物検査のご協力をお願いできますでしょうか?」
とても良いことだ。

確かに私は一見、変態系だ。
大都会のど真ん中を、短パン、サンダル、袖なしシャツ、
坊主頭に髭面、・・・。

客観的にこういう人間を見たら、いわゆる白い目線を私だって
送りたくなる。 手荷物はない。腰にポーチを巻いているだけだ。

これが、新宿などでだったらさすがに私も不快感を示していたであろう。
が、今回は逆に彼を褒めてやりたい。
「良くぞ見過ごさなかった」 と。

もちろんポーチから武器など出てはこない。 ケータイ、財布、ハンカチ
ナンバーズ予想用紙、そんな程度だ。

・・・・街はすでに平静を装っている。それでもそこを行き交う人たちの
心の中には、あの事件のことを、片隅のどこかに、抱いているのだろう。



PS)
ついでだったので、警官に郵便局の場所を聞いて金を下ろしに行った。
行列を作っていた。

一人のおばさんが、2台しかないうちの一つを独占していたのだ。
10分くらい並んだか。 気が付くと私の後ろにも20人以上。

世の中無神経な人間は結構多いものだ。
自分さえよければいい。自分だけは特別な存在だ。それが人間の本質。
・・・・・・・・
でなけりゃ歩行喫煙、飲酒運転などありえるはずがない。

私は変態だが人様に迷惑はかけないよう最近は心がけている。

よっぽど一言、言ってやろうかと思ったが、ただでさえ要注意人物として
マークされてしまったばかりだったので黙って立ち去ることにした。



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vol 9 品庄と綾瀬はるか

  2001年、10月2日。 

「品川庄司って知ってます?」 「うん、知ってるよ」

マネージャーからのTELにそう答えた俺だったが、その時、2人組であると
いうことは知らなかった。 

知っていたというよりも、名前を耳にした程度の認識といった方が正確である。
いや、というより村上ショージと勘違いしていたと思う。


  翌、10月3日。 その朝を迎えた。

集合場所は京急線のあまり聞きなれない駅だった。

私は、当時日記をつけていたが、前回 ”市川由衣” 同様、日記は見ず、
記憶を頼りに書いている。

元来、めんどくさがりな為わざわざ押入れをひっくり返すのはかったるいのだ。
いずれそういう機会があったらまた、追記など出てくるかもしれない。

最低限の日程、主な出来事に関しては、手元に10年日誌というものが
置いてあるのでそれを参考にはしている。

多少記憶違い等もあるので、1~2割はフィクションも混ざっていると思って
読んで下さい。


・・・・そこは、住宅街 (後に分かったのだが庄司君の実家の近くだった)、
車にて待機するよう指示を受けた。

今日の仕事は、「品庄内閣」第3話。 1,2話はまだオンエアされていなかった
と記憶している。していれば観ているはずだから。

深夜の時間帯ではあったが冠番組を持つということはエライ事だ。

車内には年配の男女が乗っていた。どこかのエキストラさんだろう。
そう思っていたので軽く会釈を交わした程度、話はあまりしなかった。

まさか、庄司君のご両親だったとは・・・。遠慮してか御2人もあまり無駄話など
せずにいた為、夫婦だとも見抜けなかった。

土手では若者らが番組を収録中。 その中にいた女の子、それが綾瀬はるか。
まだドラマなどにあまり出ていない頃だ。

私はホリプロのスカウトキャラバンを観ていたので、一応顔と名前は覚えていた。
しかし残念なことに、その日は認識できていなかった。

私が、あの時 マスコットガールとして来ていた少女が ”アヤセ~”と知ったのは
家でオンエアを観た時だった。

「ア、綾瀬はるかが出ている」・・と。
しかもその隣に立っているのはまぎれもない俺だ。 

ちょこんと、お人形さんみたいに彼女は映っていた。
なぜ当日気が付かなかったのか、今でも悔やまれる。

気が付いたからといって、「オス、かわいいね」等と間抜けなことは、・・・今の
俺なら言わない。が、当時の俺なら言ってしまっていたかもしれない。

vol 5 で登場した元同僚の村野君が綾瀬はるかの大ファンで、
夜間暇なときいつも彼女のドラマDVDを観ていた。そう、村野武範さんの甥の。


車にて場所を移動。 ご両親も一緒だ。

蒲田のマルエツへ。 
そこで降り、ディレクターと品川君と3人で打ち合わせをした。

私は品川君と共謀して庄司君にドッキリを仕掛けるという役どころだった。

こういうバラエティはよくヤラセという説もある。 実際のところは分からない。
庄司君が、こうこうこういう感じで、と Dに言われていたのかどうかは。

しかし、少なくとも台本はなかった。品川らとも段取りをきちんと話し合った。
彼は元ヤンだけあって礼儀のしっかりした男だった。

俺は、現役の悪ガキに理解を示す話の分かるオヤジではないが、
昔の、ツッパリという言葉は嫌いではない。

また、こいつ頭の回転が速いなという特徴も、品川君からは見抜いた。
しかし、後に小説を出したり、メガホンを取ったりするような人物にまで
成長するとは予想していなかった。

映画 「ドロップ」なぜ俺にも声をかけてくれなかったのか。
パート2では期待する。

さて10年位前か、庄司君はこのマルエツでパンツを万引きし
補導されたらしいのだが、その時の警備員というのが俺のポジションである。

もちろんニセモノだ。 俺は警備員のバイトはよくやっているが蒲田の
マルエツでやったことはない。

打ち合わせは5,6分だ。 すべてアドリブ。
編集されるのでしゃべったこと全てがオンエアされるわけではないが。

品川が庄司の元へ。 庄司は目隠しをされて歩いている。隣に綾瀬もいる。
3人が通りかかったところで俺がおもむろに声をかける。

「あれ、庄司君、庄司君だよね?」(わざとらしい)これがアドリブ第1声だった。
・・・・(以下、省略)
3人でのやり取りをはるかチャンが見守っている、といった構図か。

ころあいを見て、年配エキストラが現れる。
その後のやり取りで初めて庄司君のご両親であることを明かされるので、
俺もドッキリを仕掛けられたような気分だった。


マルエツを通り過ぎ、収録はまだまだ続いただろう。俺の撮りは終わった。
まだ明るかった。 今日は拘束2~3時間程度だ。

10年日誌には、この後、川崎のブックオフをのぞいたと記されてあった。



PS)
3人とも今や大活躍のタレントです。 中堅となった彼らが初心を忘れず
謙虚に頑張っている姿に励まされる私です。

この番組では程なく、ADさんが失踪したとかクレジットに出ていました。
私が面倒見てもらったスタッフさんだと思います。元気なのでしょうか。

余談ですが、9月10日、今日は私の両親の結婚記念日です。
庄司君のご両親の話を書いていて思い出しました。


明日は、「仮面ライダーと9・11」 お送りします。(予定)
                   

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vol 10 仮面ライダーと 9・11

 「俺は天国へ行く。だから良い事をする」 面白い怪人、
いやファンガリアだった。 かなりの強敵だったがついにやられた。

キバは毎回観ている。 仮面ライダーと名がつくとどうしても気になる。
俺にとってのライダーとは、もちろん、1号、2号、V3…等なのだが。
平成ライダーも何シリーズか観ている。

そういえば、キバの映画にホリケンが出演したが、昔、ネプチューンの番組に
出たことがあるので、またの機会に話そう。

さて、キバの話はここまで。 今回は・・・・






 ・・・・2001年9月10日、東映大泉撮影所へ行った。
この日は台風、雨は朝から降っていたのかだろうか、そこまで覚えてはいない。

ロケバスにて群馬へ。どこかの会社か、病院のセット。

「仮面ライダーアギト」 第36話。俺は手術医の役だった。 台詞は2つ。

その日は残念ながら、ライダーも怪人(アンノウンだったかな?)も現場には
いなかった。

重傷を負った兄弟、弟の方は助かる見込みがない。
その弟の体を使って兄を救出する。そんな役だった。

「弟の腕を兄の体に移植する」わかりやすい台詞。子供には難しいかな?

またまた残念なことに、オンエアでは顔にボカシがかかっていた。
俺だということは判明できなかった。
一応声だけは俺だ。これで吹き替えされていたら最悪だ。

手術を受けた兄はその後、ライダーに変身。
あれは別に改造手術だったわけではないと思うが、何らかの事情で変身。

アナザーアギトとしてドラマ終盤活躍していた。

この日の監督は長石さんだったろうか。
年配の方だった。昭和ライダーの頃から居られる人だ。

私は今、川崎市の多摩美に住んでいる。そう、東映生田撮影所があった
所だ。家から歩いて3分なのでたまに行く。

ここでクモ男が・・・、ああ、ここは蜂女の回で使った建物だな。
緑川ルリ子もここを歩いたのか・・

先月、35年来の友人が遊びに来た時、自慢げに案内した。
「ここ、本郷猛のマンションだぜ」 と。

ライダーといえば2号、
一文字役の佐々木剛さんと町田の駅下ですれ違ったことがある。
だいぶ前のことだが。

アギト役の賀集君は、その後、「はぐれ刑事~」の現場で2,3回見かけたが
絡みはなかった。藤田まことさん、岡本麗さんもいた。

岡本さんは何か声をかけてくれた。


 翌、9月11日、やはりこの日も台風、あまり荒れてはいなかったと思うが。

教育ビデオのナレーション撮りで我孫子へ。
エムスリーのさつきさんという、
わりと再現ドラマに出ている人と待ち合わせ中お話した。

そしてその夜、同時多発テロが起こった。
俺も何度か歩いたことのある街だ。 悔しかった。





PS)
 今日は2008年9月11日、あれから7年。
先日もテロによって若者が拉致殺害された。いつまで続くのか。

「戦争はなくならない」 これが現実の世の中。

だから、せめて子供らには仮面ライダーのようなものを通して心を
育んでもらいたい。

また、作者にはそういうものをいつまでも意識していてほしい。



 以前、ヤフオクで購入したライダーカード47枚とアルバム1冊
昔の物だと思ったら、99年版でした。どなたか送料込み¥2000で
どうでしょう。1名のみ。(状態かなり悪いです)


賃貸 







vol 11 水野美紀



 3年前の9月12日、水野美紀主演映画の顔合わせオーディションに参加した。
場所は参宮橋スタジオF,13時集合。

以前受けた、オーディションで合格した30名くらいの人間が集まり、
俺はその中の1人だった。 水野さんも来ていた。

彼女はアクションのできる女優の第一人者だ。
「恋人はスナイパー」などを観て、かっこいいなあと思っていたものだ。

その本人が目の前にいた。 この人、実在しているんだ。・・・・
たまに思うことがある。 ブラウン管に生息している人間たちというものは実は
架空の存在なのではないのかと。

配役オーディションのため、エチュード的なことを色々やらされる。
正直好きではない。 が、彼女も、1組1組にきちんと付き合ってくれていた。

当時、自分がCMをやっていたスポーツドリンクを片手に・・・。

休憩時間の一服。 水野美紀も他の皆に混ざってやっていた。
アクション俳優なのにいいのだろうか等と言うつもりはない。

しかし美人だ。 その後、何かのバラエティ番組で河本準一とキスしまくって
いたのは少々キツかった。

結局あの映画は、撮影されたらしいが俺は出なかった。

何度か連絡が来て、ホテルマンの役ももらっていたのだが、脚本の段階で
カットにでもなったのだろう。

もう一度会いたかった。


PS)
私は大変な勘違いをしていた。キスしていた芸人はやはぎだ。
たまたま「いいとも」を点けたらおぎやはぎが出ているではないか。

危うくひんしゅくを買うところだった。
ウン、たぶんこの顔だった。・・・・と思う・・・・。


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美女とこんな部屋でくつろぎたいもんですなあ。  絵文字名を入力してください



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vol 12 予言の日

 

 2月12日、「ジョセフィーヌの予言」 という番組を見た。
それによると、今日9月13日、日本のどこか、または中国で大地震が
起こるとの事だった。

気になったので手帳に印をつけておいた。

昨日、本屋へ行き2冊ほど関連本を立ち読みすると、
日本の場合だとしたら東海地方、岡崎市と書いてあった。

これまでの予言は9割程度当たっているらしい。私は結構信じるタイプだ。

もし関東となっていたらあわててホテルでも取ったかもしれない。 
築40年以上の家ではやはり不安があるからだ。

ただ私は楽観主義者だ。 大地震はないと思う。
9割ということは100個予言をしたら10個はハズレているという事だ。


昔、ノストラダムスの大予言も実は信じていた。
「俺が36の時、人類は滅亡するんだな」と子供の頃真剣に思った記憶が
ある。

20才で年金に加入するのをやめた理由もそれだ。 
最もその頃は義務ではなく選択性だったためもあるが。

36で死ぬのならイミないなと。 しかしすでに44。
’99年7月、恐怖の大王は来なかった。

私は20~38までは年収100万程度しか収入がなかったので、
どっちにしろ年金は払う余裕などなかった。

まあ、俺は俺なりの方法で世の中の役に立っていきたい、
そんな風に考える。

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  ジョセフィーヌではなくジュセリーノでした。  絵文字名を入力してください

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情報ビジネスに参入する最も簡単な方法とは?
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あなたが「情報販売」に参入する上で大きな問題が1つあります。

それは、情報販売ビジネスが認知され、ライバルが急増している今、
売れる情報商材を作ることは難しく、困難な作業だということです。


人々が買いたいと思うような商品を作ることは、簡単なことでは
ありません。


商材を書き、セミナーを撮影し、そして、それらをすべて1つに
まとめるには、かなりの労力と時間がかかります。

さらに、セールスページやホームページ、そして、一連の
販売システムを作り出す必要があります。

そして、人々に何万円ものお金を支払いをさせるようなセールスレターや
マーケティングのツールを作り出すには、何年もの熟練したスキルが
必要なのです。


「じゃあ、他人の商材をアフィリエイトで販売したらいいんじゃない?」
と思われる方もいらっしゃるかも知れません。


しかし、少しでも情報販売の業界をご存知の方であれば、アフィリエイトで
稼ぐことは、既に難しくなっていることはご存知だと思います。


また、インフォプレナーとアフィリエイターの収入を比べて頂ければ、
アフィリエイトよりも情報販売のほうが儲かることは明らかです。


さらに、彼らが商材の販売を終了したり、アフィリエイトプログラムから
撤退することを決めたとき、どうなるでしょうか?


今までの苦労がすべて水の泡になります。
(これはあなたが想像しているよりもずっと多いです。)


しかし!

あなたはもうそんなことを悩む必要はありません。
なぜなら、その他にも、情報販売ビジネスに簡単に参入する方法があるのです。

それは...


(続きは下記をクリックしてください)

アフィリエイトはもう古い!リセールビジネスに参入しませんか?


                       BY,タカハシ
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vol 13 中村義洋 (映画監督)



 といっても彼の作品に出演したわけではない。
バイトで一緒になっただけだ。’97年の今頃だった。

朝、東京に集合したのは俺と中村君を含め、8~10人の男たち。
プライベートな事をもしかしたら秘密にしているかもしれないので、
詳細は書かぬが。

新幹線で浜松へと向かった。車内、中村君と同席だった。
窓側を先にGETされてしまった。ほとんど会話はなかった。
窓側をとられ怒っていたわけではない。そこまで小さくはない。

泊り込みの仕事。2週間で40万以上もらっただろうか。
もちろん違法のバイトではない。だったとしたら地位のある人間の
名を出したりはしない。 人の足を引っ張る趣味はない。

俺はそれで5ヶ月近くしのいだ記憶がある。
当時は家賃¥24000だった。 それはおいといて、

そこでも中村君と同室となった。二人一部屋。
2週間もあるのだから、正直個室にしてほしかった。

さすがにダンマリを決め込んだまま2週間過ごす訳にはいかない。
どちらからともなく話し始めた。口火を切ったのは中村氏だったと思うが。

さて、中村義洋のことを知らない方のために、簡単に紹介すると、昨年、
「チームバチスタの栄光」 という映画、あの作品を撮った監督である。

他、「仄の暗い水の底から」 の脚本なども書いている。

「で、中村君って何やってるの?」 「助監督を今・・・・」
「へえ~」 「伊丹十三監督や崔洋一監督などの下で・・・・」
「じゃ、監督になったら使ってよ」 「ええ」 ありがちな会話だ。


・・・・あれから10年、彼はすでに何本も撮っているし何本も書いている。
俺は相変わらずウダウダした生活を送っている。(家賃は3万、多少は
出世したが) この差はどこから生じるのか。

まあ、一言で言ったら才能なのだろうが。

成功する者と、そこに留まったままの者。 皆までは書かない。

もしあなたが何かを目指しているのなら考えて下さい。
私の歩んだ道、考え方と逆を行けば・・・・

すでに理想の人生を送られている方、
「アホだな、こいつ」と思いながら読んで下さい。

弱肉強食の世の中、マイペースにのほほんと生きてきた俺だったが
結局、変化を恐れ何もしてこなかっただけなのかもしれない。

「これだけの能力を持ちながら全く生かしきれていない。
もし私があなただったなら、とっくに天下を取っている。
なぜ時給1万円稼げるのに千円に甘んじるのか」

こんなことを言われた事もあった。

「不器用、ですから・・・・」
は、高倉健だからこそきまる台詞なのかもしれない。



PS)
 2001年の今日、9月14日、新宿高島屋にベスト電器がOPENした。
俺は冷蔵庫を買った。1万2,3千円の120リットル位のやつだ。
今も使っている。

その後近辺をブラブラ。 チャリンコタイガーを見た。
この界隈では有名な人物だ。 トラの面をかぶって、派手な服をまとい
颯爽と現れる。 新聞配達員だろうか。2,3回見かけたことがある。

もしかしたらトラは1人だけではないのかもしれない。

「全国に散らばっている100人のタイガーが集結し・・・・」
恐ろしい妄想をしかけたが封印しておこう。


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vol 14 成功への道

 




 成功本がはやる時代、前向き、プラス思考、未来志向・・・・
言葉は色々あれど、

私の書いているブログは時代に逆行しているような印象を、
今、自分で感じています。

失敗を通して成功に至る、とは言いません。しかし、
10000回の失敗を得て偉大なる発明が生まれることもあります。

未来とは過去の積み重ねによって生じるもの。
原因があって結果になる。 毛虫があって蝶になる。
いきなり卵が割れて蝶が羽ばたくわけではありません。

けれど人間は考えることができる動物です。
自然の成り行きに任せていても年は取り、老けていくけれど
それを努力によって遅めることもできれば、早めること(?)もできます。

昨夜、爆笑問題の番組でやっていました。
カロリーを腹7分にすると長寿遺伝子のスイッチが働き、細胞の活性化
にも良いとのことでした。

ならば成功に至る道を早める事も出来るのでは・・・

「成功することが全てじゃない」 これまでの私のスタンスはこうでした。
内心、成功したいと思いつつも、成功できていない自分自身への
言い訳として。

成功の定義というものは人それぞれでいいと思います。
私のように年収100万で生活している人が500万稼いだら、
それは成功と呼ぶ事が出来るでしょう。

「101回目のプロポーズ」 というドラマが昔ありました。
見合いに100回失敗していても101回目にハッピーエンドを迎えられれば
それも成功です。

80対20の法則? じゃ、80%の人々はどんなに頑張っても不幸な
人生を送らなければならない定めなのでしょうか。

自分でそう決め付ける必要は全くありません。 
80対20・・・、正確にはそういう意味ではないと思いましたが。

努力という言葉はダサいかもしれない。 だが、結局は
努力している人間にはかなわない。頭では皆わかっているのです。

・・・・このブログは、一言で言えば私の失敗人生記です。
もちろんこれから成功するつもりではいます。

たまには良いことも言います。 でもそれは今の私が言っている
のであって過去の私が言っているのではありません。

けれど過去の私を通して今の私が言っている。つまり、
過去のそういう経験、思いがあったという事実から発する言葉です。

反面教師として読んで頂ければ、何かつかめるようヒントは
散らばせているつもりです。
(ヒントは答えではないのであなたの感じたことが正解です)

初めてのブログ、その意味や役割も考えずに見切り発車しましたが
毎回試行錯誤しながら書いています。

ストックは1本もありません。 新鮮です。 ネタは・・・10000あります。
まあ、50回程度で第一章は閉じる予定でいますが。

人気が出なければ30回で消え・・・、

あ、いかんいかん。 また、マイナス星人が・・・・

                                 では。  

人材紹介 

vol 15 ホリエモンのぶろぐが

 
 話題になっているという情報をキャッチした。たまに読んでいる
メルマガの作者からだった。

さて、さっそく飛んでみた。 内容は難しそうだったのでざっと流した。
牛丼の写真が載っていた。

彼の生き様に関しては賛否両論あろうが、私は7・3くらいで好意的に
みている。

確かに経営者として非情な面もあっただろう。 
闇の部分もあったかもしれない。

しかし客としてみるならば、やることなすこと楽しかった。
「プロ野球って普通に買えるんだ」と。 いちいち桁が違っていた。
マスコミもあおっていた。

彼が何者であろうと、一つの時代に君臨したしたことは事実だ。

「金で全てがモノにできる」 とは、心底は思っていないだろう。
頭のいい人間だ。 
それがいつまでも世間に通じることのないくらいは知っているはずだ。 
そのような演出、パフォーマンスを一時していただけに過ぎない。

悪であれ正義であれ、人間的魅力がなければあそこまで色々
事をなすことは不可能だ。 

たとえそれが失敗に終わったとしても
そのステージに立つことすら簡単ではないのだ。

選挙に立候補はできても、TV局は普通は買えない。
それを買える人間がもし、 
「やめときなよ」と言っていたら少しは聞く耳を持ったのだろうか。

大いなる野望を持つことは悪いことではないのだが・・・・
まあ、いずれまた何かやるだろう。 大々的にかどうかは別として。

堀江氏とは面識はないが、東大生と話したことはある。
昔、バイトでリーダーをやった時、メンバーに東大生がいた。

俺の指示で天下の東大生が動く、快感を覚えたものだ。

日テレの麹町スタジオで、菊川怜とすれちがったこともある。
「おはようございます」 俺を偉いスタッフと思ったのだろうか、
挨拶されてしまったときはさすがに照れた。

もし単なる小物と知っていて、あのように挨拶ができたとしたら
その人間はそれだけで誰からも尊敬を得ることになるだろう。

六本木ヒルズはまだ行ったことがない。
家賃200万円か・・・・、俺の2年分の給料だ。


FX 初心者






vol 16 飯島愛のぶろぐを

 初めて読んでみた。 特にファンだったわけではないが
彼女はやはり、必要とされていた人間だったと思う。

なぜだろう、 「サンジャポ」 も 「金スマ」 も
愛ちゃんが引退してから観なくなった。

今思えば、なんとなく影は感じていた。 人の想いという物は
結構表に現れる。

引退する人、自然に消えていく人、事件を起こして去っていく人、
色々いる。 
それでも何事もなかったかのように世の中は動いていく。

そして新たな人材が、待ってましたと言わんばかりに
そのポジションを狙って生まれてくる。

雨だ。 出かけるつもりだったのに。
まあ、昼にはやむといっているので待とう。

ぶろぐを書き始めて19日目、まだまだ分からない事だらけだ。
コピーペはさすがに覚えたが。 リンクがうまく張れない。

http~を入力して自然に貼れている時もたまにあるが
すべてそうだともっと助かる。 

ア、太陽が出てきた。 

青汁 通販




vol 17 品川ぶろぐも

 先週覗いて見た。 vol 9 で品庄の話題を書いておきながら
品川君のぶろぐを一度も読んだことがない、ではあまりにも失礼だ。

なるほど、本人の性格がよく表現されている。共感の持てる内容だ。
勉強になった。ウケているわけである。

人気ぶろぐであると言うことは知っていた。 ニュースで。
ケバケバしいイメージを予想していたがシンプルだった。

さて今回、いわゆる有名人ぶろぐと言うものを初体験してきた訳だが
もちろん彼らと同じレベルを目指そうなどという野望は失せた。

私は人様のぶろぐというものをこれまで10個くらいしか読んでいない。
たまには訪れてみるのも勉強になる。

そろそろ写真の入れ方も覚えねば。 その前にデジカメか。
俺の携帯、写真は取れるのだがSDカード式ではない。

こういうやつでも写真は送れるのだろうか。

ひとまず、芸能ぶろぐ3部作は終了する。

PS)
真鍋かをりぶろぐは昔から好きなので本を買った。
写真しか見ていないが。

晴れてきた、出かけよう。


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vol 18 今日、K1選手を見た

 昼過ぎ、雨も上がり出かけることにした。玉川学園までの回数券
(拾ったやつ)が1枚、今日までの期限だったので玉学で降りた。

町田のヤマダ電機方面を目指して。 
地図もなく勘で歩いたせいか50分もかかった。

天狗で飯を食い、FOOD ONEで買い物をした。ここは食パン¥78
と安い。いつも2斤買う。電車賃往復¥420かかるが、
まあ、ここいらじゃ町田が1番都会だし。

その帰り、ちょうど3時だ。
龍道場の階段に、沢屋敷純一が座っていた。

何か手作業をしていたが良くは見なかった。 バンテージでも
巻いていたのだろうか。

バンナをぶっ飛ばしたときはスゲーなこいつと思ったものだ。

立ち止まってみるわけにもいかない。通り過ぎざまにチラと
見ただけだ。

たとえデジカメを持っていたとしても「1枚よろしく」とは声を
かけなかっただろう。

よって、証拠写真はないです。

先日は前田慶次郎を見たし、今度は誰がいるか楽しみだ。


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vol 19 一青窈の姉

 インターネットTVガイドを見ていたら、一青窈の姉と書いてあった。
妙さんの事だろう。 昔、同じ事務所だった。

そこには4~5年いたが、彼女と会ったのは一度だけ。
リハーサルも入れると2回か。歯科医をやっていると言っていた。

[一青さんって、一青窈のシンセキ?」 ご挨拶でたずねると
「妹なんですよ」 と、笑って答えてくれた。


2003年3月、TV50周年記念番組、「ずっとTVもっとTV] 。
NHKホールでの収録だった。

黒柳徹子さんのデビュー当時を再現した劇中劇に出演した。
番組には他にも、”渡鬼”の橋田壽賀子先生など
そうそうたる顔ぶれだった。

司会はえなりくんと有働アナ。有働アナは楽屋に挨拶に来てくれたが、
そのとき俺は席を外していた。

舞台袖で、黒柳さんに話をして頂いた。昔はTVドラマも生で
失敗も結構あったらしくごまかすのに苦労したとおっしゃっていた。 


さて俺は、その当時の刑事ドラマに出演している刑事の役。
妙さんは黒柳さんの役。(刑事の娘役)

ドリフのコントとは違う。 普通のドラマだ。

本来、ドラマでNGを出しても撮りなおせばいい。 しかし生の
舞台というのはそうはいかない。 それでもミスはする。
それをどう処理するか。ミス場面を中心に再現した。

5年半前、俺は38、妙さんも30は過ぎていたと思うが
なぜか親子だった。 さて一つ観てみよう。 

彼女の顔を見るのは5年ぶりだ。 

風の噂では結婚したとかしないとか・・・・



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vol 20 しょこたんぶろぐ15億PV !!

 芸能人ぶろぐについては、もう書くつもりはなかったが
こんな画面が目に入ってくれば黙っているわけにもいかない。

すごすぎるとしか感想はない。15億もすごいが、
1日80回書いたことがあるというのも見上げたものだ。

私も昨日5個書き、「すげえな、俺も」という気分だったが
80と聞いて戦意喪失した。


お会いしたことはなかったが、私は亡くなったお父様と
世代的には近い。

いわば娘のような感じで彼女を見ていた。

さて、ではその しょこたんぶろぐ、どんなものかいっぺん
訪ねてみよう。

ギザなんたらとか いっぱい散りばめられているんだろうな~。




18時30分、
見てきました。今日が父親の命日だったみたいでした。

猫の写真もたくさん・・・,栄子ってネコちゃんの名前だろうか。
私の母も栄子という名前だ。・・・関係ないけど。


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vol 21 大山倍達

 「千日を持って初心とし、万日を持って極みとす」
私の好きな言葉である。

私は武道家ではないが、哲学として大山倍達の書物を
愛読してきた。

8月13日、このぶろぐの立ち上げを考えていた時、
頭に浮かんだのがこのフレーズだった。

そこで万日とはどの位だろうと計算すると27年と5ヶ月。

一つのことを27年間貫き通すのは容易い事ではない。
だが私は、1つだけ27年欠かさず行ってきたことがある。

それは日記。 
27年間腕立てやりましたの方が迫力はあるが。

’80年5月1日から今日まで、
28年以上書き溜めた物の中には面白い物もいくつかあろう。

10000日過ぎているのだから、創刊号タイトルは
「万日を越えて」。(そのまんま)

ぶろぐタイトルは「君は人生の王道を行け」(『極真大道』から
大道にしようかとも思ったが)

10000日、毎回毎回ドラマチックな事などおこる訳もない。
しかし、平凡な日常の中にこそドラマは生まれる。
平凡な日常の連続が万日になる。 結局、それが人生だ。

また、人生は勝ち負けでもある。 
が、誰だって負けることもある。 そこから何を学ぶかだ。



偉人 大山倍達、彼がこの世に誕生してくれた奇跡に
敬して・・・・・


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vol 22 終戦と敗戦

 以前にもお話したが私は9月2日生まれ。

先週放送のNHK 「そのとき、歴史が動いた」、
録画しておいたもの、やっと昨夜観た。

まさか、9月2日という日にこんな歴史的意味があった等とは
夢にも思っていなかった。
もちろん昭和20年に生まれたわけではないが。

終戦から2週間、
降伏文書調印が行われた日が9月2日だったとのこと。

コメンテーターが言っていた。8月15日を終戦の日と呼ぶなら、
9月2日こそ敗戦の日であろうと。

私の最も古い友人に幸夫という男がいる。
彼の誕生日が8月15日だ。

普通、友人の誕生日などそうそう覚えてはいない。
が、終戦記念日というものは子供でも知っている。

私と彼が出会ったのは、運命的なものだったのかどうか、・・・

3年くらい会っていないが、
正月、帰省したら顔でも見に行ってみよう。

vol 23 麻生太郎

 2002年7月、
私は1ヶ月だけ町田のホテルでフロントマンをしたことがある。
夜勤を10回程度、日勤は2回くらいやったか。

近くにちょんの間(たんぼ)があり、ヤクザもたまに来た。

7月12日、この日も夜勤。
夕方、出勤した時、ちょうど自民党の会が催されていたらしい。
麻生政務調査会長(当時)がSPに囲まれ、私の目の前を通った。

だからと言うわけではないが、今回だけは麻生さんに勝ってほしい。

私はチャレンジャーが好きだ。3度目の正直はならなかったが
諦めなければいつか勝つ、を見せてほしい。

もちろんそれだけの理由で一国を任せるわけにはいかぬだろう。
失言などで失脚する恐れもある。
それでも、あのような明るさが今必要だ。

暗い時代、その太陽が本物ならば・・・・・


PS)
昨年、4月20日町田のコンビニで発砲事件が起きた。
そこにはホテルマン時代、
いつも弁当を買いに通っていただけに驚いた。

もう、あの辺は6年以上歩いていない。



PS 2)
麻生さんのHP覗いてみたら、明日、お誕生日のよう。
この記事、明日書けばよかった。


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vol 24 「つんくちゃん」

 という番組に二度ほど出た。 モー娘の4期生が入る前だった。
(5期だったかな?) たぶん2000年頃。

池袋、ハンズ前のゲーセンで撮った。 その日はつんくはいない。

レコスタオーディションという企画?があり、そのPV,
ネクタイを頭に巻いて熱唱するサラリーマンを演じた。

それから1,2ヵ月後、二度目は代々木八幡の寿司屋でのロケ。
つんくも来た。 ゲストは沢田研二だった。

俺はただの観客。 
つんくだかの隣に座っていたが全く映っていなかった。

しかし食った。 
寿司を気持ち悪くなるまで食ったのは初めてだった。

撮影中、もっと食えもっと食えとスタッフに言われても、
もう勘弁してくれというくらい。

欲張って大トロばかり食ったからだろうか。しばらくすしは食いたくない、
それほど食った。 (今、腹へっている人、ごめんなさい)

・・・・またそういう依頼があったら喜んで行く。
ギャラもらって すし食い放題、いい仕事だ。


PS)
日にち調べようと、押入れをひっくり返したが
昔の日記、どの箱に入れたかわからず途中であきらめた。

よって、日にちは不明です。


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